2005年09月20日 「黄泉がえり」を不意に観て。
:珍しく、テレビで映画なんぞ観る。「黄泉がえり」。たまたまテレビを着けたらやっていたので、途中から。
:実はこれ、公開中に観るかどうか迷っていたのです。というのも、タイトルから内容が分かりますが、絶対泣くという確信があったからなんですよ。
:結局観ずに終わった後、祖母が亡くなり、祖父が亡くなり・・・この映画は余計に観られないものになってしまいました。だって、映画はフィクションだけど、どうしてもそこに祖父母の姿を見ちゃうじゃないですか。10月1日でまだ祖父の一周忌だというのに。
:それでも「こうしてチャンネルを合わせちゃったのも何かの偶然だから」と観てみたのですが、途中から観たせいか、残念ながら(と言うべきかどうか)あまり感情移入することはなかったです。それにしても、ちょっとラストがあっけなさすぎたな・・・。「宇宙戦争」にも匹敵するくらい、空虚な感覚だけが残ったように思いますね・・・。
:ただ思うのは、死んだ人が時系列を無視して蘇ってくるのは、一つの「夢」でありながら、とても残酷なことなのだなぁ、と。遺された人たちはすでにその人のいない生活を受け入れているわけで、それがどんなに苦しい作業であろうと、それを乗り越えたところにいるのでしょう。そこにもう一度死者が現れる。しかしすでに、死者と遺された人の間には決定的な時間差がある・・・。さらに死者がもう一度消えるとなれば、二重に悲しみを与えることになるのであって、その点を映画は誤魔化しているようにも見えました。
:・・・う~ん、やめよう。死んだ人のことであれこれと仮定の話を考えるのは・・・。
:祖母が一昨年の11月、祖父が昨年の10月に亡くなりましたが、今年こそは平穏な秋を過ごせたらと、僕は強く思うのです。