IHANOYA DIARY

2006年10月19日 もう何も聞こえない。

:以前から槇原敬之について書こうと思っていたんですが、タイミングよく「詞の盗作疑惑」なんてものがテレビを賑わせてるようですので、たまにはタイムリーなことでも書くことにします。


:僕が槇原敬之の歌を聴くようになったのは、10年くらい前からです。
:当時、僕は大学に入って間もない頃で、まさに人生で最初で最後の発情期でした。男子校で三年を過ごした後だったせいか、もうとにかく彼女が欲しかった。とは言え僕は、容姿は大したことないし、特に秀でたものも持ってない。女の子と話すことにも慣れてない。恋はすれども実を結ばないことが続いて、悶々とするばかりでした。
:そんなときに槇原敬之の歌と出会えば、どうなるか分かりますよね?(笑) 彼の歌う、地味でサエない男の恋愛模様に僕は共感し、そこに自分の姿を投影していました。「真面目さ」と「優しさ」という、弱さの裏返しでしかないものしかアピールするもののない男にとっては、彼の歌は世の中で数少ない慰めでした。


:そんな彼が、歌に似つかわしくない罪で逮捕されます。


:僕は、「作家と彼の作品は別個のものである」という常套句を唱えて、必死に動揺を回避しようとしました。幸い、かねてから彼のむやみに明るく人懐っこいキャラクターに馴染めなかったので、彼と彼の作品を分けて考えることは、僕にとってはそんなに難しいことじゃなかったように思います。


:復帰後の彼の歌は、反省と戒めに満ちていました。そしてまた、マイノリティを拒絶する世の中への疑問も、そこに混じって聞こえました。
:彼は、彼にとって「大切にしたいこと」を日々発見し、それを歌に乗せていきました。僕はそれを、半ば痛々しい思いで聴いていたものです。彼のそんな歌作りは、「世界に一つだけの花」で一つの頂点に達したように思います。


:その後も彼は、"こんなことって大切だよね"・"人間こうあるべきじなんじゃないかな"といったニュアンスの、メッセージ性の強い歌を次々生み出していきます。そしてそれと同時に、恋愛の歌はあまり歌われなくなっていきました。
:正論は、繰り返されると「説教」になります。
:気が付くと、僕はもう彼の歌に共感することは出来なくなっていました。確かに、彼の歌っていることは正しく、そしてとても大切なことです。ただ、皆はじめから口に出さずとも、あるいは人に言われなくても大切なことが分かっているから、罪を犯さないんですよね。例えば、クイズの答えが分かった後で、答えを間違えた人から正解をくどくど解説されても困るのです。
:そしてもう僕は、彼の歌を聴くことはなくなりました。


:僕はケミストリーのあの歌は知らないし、「銀河鉄道」に関しても全く知識がないので、今回のことはよく分かりません。ただ、どちらにしろメッセージとしては非常に特殊な文章だし、言葉の順番が入れ違いなのはよく出来た話だなぁとは思います。
:もちろん、「作家と彼の作品は別個のもの」です。だからこそ彼には、せめて「作品」は批難されるようなものを作って欲しくないなぁと、今になって思うのです。

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