2005年02月05日 大人に。
:ここ一年くらいずっと、「大人にならねば」と思っている訳です。
:ええ、もう2オリンピックほど昔に成人式は済ませましたし(行かなかったけど)、色々と表面だけ大人になってる部分があるにはありますし、今週忙しかったせいでトチ狂った訳でもないです。
:「永遠の少年」とか「男っていつまでもコドモねぇ」とか、嫌いじゃないです。むしろ、そういうバカな部分を残した大人でいたい、と思っています。ただ、大人になるときに持っていっていい「コドモっぽさ」と、そうでないのとの取捨選択を意図的にやっていくべきではないか、と、そう考えているのです。
:年の割りに落ち着いているね、とよく言われます。僕は子供の頃から「コドモっぽさ」を軽蔑していたように思います。そのせいで、自分をどんどんそれとは対極のベクトルへと持っていこうとしてきました。ただ、悲しいかな、精神の成熟度というものは意図的に加速できるものでもなく、僕は自分自身を「コドモであることを忌み嫌う子供」という自己否定しかないところへと持っていっただけでしかなかったのではないか、と今からすれば思うのです。
:結果、僕はどこか自分自身にズレを感じるようになっていました。大学生の頃からです。思っているほど自分が大人になっていないことに、違和感を感じるのです。それでも大学生の頃はまだよかった、これが社会に出ると様々な場面でそのズレを感じるようになって、僕はひょっとしたら後戻りしたほうがいいのではないかとさえ思うようになりました。
:でも現実には、僕は大人にならなければならない。
:最近思うのは、もう1人の力では無理だ、ということです。大学時代には、周りに友人がいました。相手の意思に関わらず、彼らから学べるものがありました。それが社会人になると、そうもいかない。そこに損得の感情が混じるからです。そして、嘘と本当の境目が非常に曖昧になってくるからです。
:僕は今、まるで梱包材をプチプチつぶしていくような感じで、手ごたえのないまま少しずつ大人になろうと努めています。つぶしてもつぶしても、終わらない。勢いよく音が出るものもあれば、空気が抜けてしまうものもある。でも少し離れたところから見れば、つぶれたんだかつぶれてないんだか見分けが付かない…。
:「人の親」になった友人たちが変に羨ましく思えたりする今日この頃です。