おかえり。
我が家にどんちゃんがやってきてから、今月の5日で10年が経ちました。写真はお迎えした次の日のどんちゃん。いちおう念を押しておきますが、新しい子をお迎えしたわけではありません。
いわゆる「ペットロス」を、新しい子をお迎えすることで和らげる方法はありますけど、我が家はもう亀を増やすことはないです。三匹の亀が奇跡とも言える組み合わせだったので、どんちゃんの代わりになれる子はいません。
生き物と暮らして10年の節目なのに、始まりだったどんちゃんがもういない。そんな悲しい思いで10年前のことを考えていたら、ふと東寺に行きたくなりました。
どんちゃんをお迎えする数カ月前、僕ら夫婦は東寺の池でほとんど週末のたびに亀を愛でていました。もともと二人とも水族館に行くのが好きだったけれど、その池で亀のかわいさ、健気さ、どんくささに触れ、見守らずにはいられなくなっていたんです。
あのとき出会った亀の中に、顔がひときわ大きくて目立つ子がいました。僕らは勝手に「でかお」と名前を付けて、贔屓にしていたものです。
その「でかお」に今日また会えました。アカミミがいなくなり、ただでさえ会える亀の数は少なくなったのに「でかお」はきっちり出てきてくれました。
顔がつぶれているのでとても可愛いとは言えないけれど、愛嬌があって、そしてどんくさい。
僕らが亀をお迎えすると決めたときは、そんな「でかお」みたいな子が来てくれると期待していたように思います。
そしてやってきたどんちゃんは、顔が大きくて、愛嬌があって、どんくさかった。だからやっぱり、神様はいるんだと思ってしまうんですよね。
10月10日がどんちゃんの月命日。一か月が経ちました。僕らはまだ全然立ち直れてなくて、悲しみを盛大に引きずり倒しています。
どんちゃんが残していった痕跡は、我が家にはまだ至るところにあるんです。食欲が戻った時のために冷凍していた魚介類、冷蔵庫のレプチゾル、爬虫類用の整腸サプリ。それに、すべて三つずつ揃えてある亀グッズの数々。それらがふいに目に飛び込んでくるたび、心が決壊しちゃうんですよね。
先ほども書いた「ペットロス」というのは、ペットを失った悲しみや空虚感のことだと思っていました。でもそれだけじゃないんですね。治療や投薬の際の心苦しさや、結局救えなかった申し訳なさが、後悔や反省となって重く伸し掛かってきます。今更どんちゃんは戻ってこない、後悔や反省は無駄だと分かっていても、避けようがありません。
人生ここまで生きてきて、後悔も反省も悲しみも痛みも、すべて時間が薄めてくれることは学びました。今は耐えるしかありません。
家の中にどんちゃんの気配がまだあるということは、どんちゃんが近くにいてくれる証でもある。そう思って、これからも月命日をひとつまたひとつと数えていくしかないですね。
- 記事公開日:2023年10月15日
- カテゴリー:ミシシッピニオイガメ
- 関連するタグ: おはぎ(どんちゃん), 亀スポット
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こんにちは。
IHANOYAさんが今のお気持ちを綴るのに、どれ程の痛みを伴うのだろうと想像すると、胸が締め付けられます。
上手く言えませんが、IHANOYAさん家に迎えられたおはぎさんは、幸せな亀さんだったなぁと思っています。
ウチのモジーも頭の比率が大きいです(笑)
今、甲長16㌢、体重820㌘とミシニらしくない大きさのウチのコですが、おはぎさんと近いDNAだと思うと嬉しいです。
ありがとうございます。
本当に今はネガティブなことしか考えられないので、ブログを書くかどうかも迷うところなんですが、自分の記録でもあるし、正直に残しておこうと思いました。
人目を気にして強がったり、変にポジティブに振舞うのは自分らしくないなー、と。
悲しいものは悲しい、大好きな家族がいなくなればこれほど苦しむ人間もいるんだ、ということですね(笑)。
頭が大きい亀は本当にかわいいですね。甲羅と合わせて雪だるまみたいなシルエットになるからでしょうか……。
ミシニでも、体の大きい子は性格が穏やかな気がしています。モジーさんもどんちゃんも。
体に合わせて、気持ちも大らかになるのかもしれませんね。(*^^*)