ここらで宇宙世紀も一区切り。
タイトルにある通り、観てから少し経ってしまいました。あれは12月30日、数年ぶりに高熱を出す、その直前のこと。じわりじわりと高まる悪寒を感じながらの鑑賞でした。なので、ちょっと見当違いなことを書くかもしれませんが、そこはご容赦を。
さて「逆襲のシャア」ですが、なんとも豪快でした。何がかと言うと、シャアに全人類が振り回されるという構図がすばらしい。
ファーストガンダムから始まる宇宙世紀の戦争の歴史を見てきて、シャアこそがその主役だったことは間違いありません。そして、シャアという人が決して完璧な英雄でもなければ懐の深い人格者でもないことは、もうすでに白日の下に晒されていることでもあります。人類に絶望した彼を動かすのは、いまや自分からララアを奪ったアムロへの執着のみ。シャアの目にはアムロしか見えておらず、頭の中にはララァしかいない。しかもララァもララァで、いつもは潔白で神秘的なイメージなのに、この映画では二人の男の間をキャッキャウフフとさまよう迷惑な地縛霊でしかありません。そんな三角関係の痴話げんかに、地球圏の全人類が巻き込まれるのです。このスケールの小ささ!
もちろん、胸躍るシーンはいくつもあります。カミーユやジュドーを見てきたからこそアムロの頼もしい戦い方には興奮するし、一度は仲間だったブライトとシャアの読み合いにもシビれます。当時としては高画質な映像で繰り広げられるνガンダムとサザビーのテンポの速い戦闘シーン、そこに被さるBGMもまたカッコいい。個人的には、遠い未来の話なのに何故か漂う「バブルのにおい」に郷愁を感じることができ、そこもくすぐられるポイントです。
しかしそういった諸々が、ラストのシャアの「私は世直しなど考えていない!」という発言によって、小さくほそーく収束していくかのようでした。脱出ポッドのままνガンダムにつまみ出され、落ち行く小惑星にくっ付けられてしまったシャア。もうこれ以上何もできない、そんな状況で彼が口にした魂の叫び。「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」。必死に小惑星を止めようとしている兵士たちには決して聞かせたくない、聞かせられない総帥の本音……。
そんな叫びが宇宙を漂ったまま、虹色の光の中に浮かぶ小惑星を残して、TM NETWORKの歌が流れ始めるのです。当時の観客は唖然としたんだろうな、そんな意地の悪い想像が頭に浮かびました。願わくば、僕も事前情報なしにこの映画を観たかったと悔しくなる、そんな幕引きでした。
ちなみに、上の画像に写っているコミックには、この映画のその後のことが描かれています。あのあとブライトは、カムランさんはどうなったのか、そして宇宙世紀はその舞台を「ガンダムUC」へと移していくのです……。お勧めです。
▼ ブライトが振り返る、ニュータイプたちとの出会い。
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