ご無沙汰のマイ神様。

クラブハリエ、近江八幡の庭。

悲しい光景を見ました。

行列が当たり前な飲食店の従業員が、待つ客に気を遣うでもなく、また慌てる素振りを見せるでもなく、席に着いた客への対応だけを優雅にこなしているさまを。
たいした日除けも無い店外で1時間ほど待たされた客は、ベルトコンベアーの終点地で待つ店員に促され、やっとのことで腰を下ろします。一息ついて汗が引いたと思ったら、未だ並んでいる多くの客の視線を感じ、そそくさと席を立つことになるのです。

慌てない、というのは接客のうえで大切なことです。もちろん、お店の雰囲気というのもあるでしょう。
ただ、そこには「慣れ」というものが存在するようにしか感じられませんでした。

当たり前に毎日行列を作る客。日々顔ぶれは違えど、扉の向こうの人の群れは代わり映えのしない風景でしょう。店の中に入ってきて初めて、人間として認識する、そんな感じかもしれません。お店の中では優雅におもてなし。とは言え同じ客相手に、並んでいた時と席に着いた時で対応が変わるようでは、結局のところ接客になってないんじゃないでしょうか。

僕の中の「マイ神様」が言います。慣れというのは怖いものだと。そこには常に油断が共存する。慣れることと「習熟すること」は違うのだと。翻って、お前は「クライアント」というくくりでお客さんのことを考えてはいまいか、と。

難しい問いです。

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  • カテゴリー:日々の暮らし

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